「ゆっくり十数えてから上がろうか」
親子でお風呂と聞くと、なんかほのぼのという感じがします。
お風呂は、一日の疲れをとり、リラックスできる場所、ゆったりする場所、癒される場所なんですもの。
「ああ、いいお湯、極楽、極楽」なんて言いながら、にっこりしあってお湯に浸かって、「ゆっくり十数えてから上がろうか」って。
十数える。
これが虐待、行き過ぎた「しつけ」の始まりでした。
行き過ぎた「しつけ」の始まり
息子が3歳の頃です。
親ばかではありますが、この年齢にしては、なかなか頭の切れる子でした。
図鑑が大好きで、色んなことを知っていました。
彼の話し方を聞いた人は、見ず知らずの人でも、「かしこい子だね。」と褒めてくださいました。
俄然私の息子に対する教育熱は高まります。
「先んずれば人を制す」
早期教育、私のできる限りのことをしてあげよう。
「先んずれば人を制す」、と言います。
とにかく、何でも早くから仕込んでおけばいい。
初めての子育て、私がしっかり「教育」しなければ。
肩に力が入りまくりでした。
数の数え方
数の数え方。
オーソドックスに、「いち、に、さん…」、普通に数えられるだけでも、3歳児にとっては、大したものだと、今ではそう思うことができます。
お次は英語で、「ワン、ツー、スリー…」、英語を習わせていたわけでもないのに、3歳児がoneからtenまで言えるなんて素晴らしいと、今ではそう称えることができます。
日本には、「いち」を別な数え方で「ひとつ」て言うんだよ。
「ひとつ、ふたつ、みっつ…」他にもあるよ「ひ、ふ、み…」こんな数え方、おじゃみや、まりつきのような昔遊びを通してだとか、楽しみながら自然にマスターしていくものなんだろうな、と今では思います。
息子のお風呂タイムは、数え方の上記全パターンをマスターすることに費やされました。
最初は和やかに穏やかに。
「間違えたな、初めから」
でも、どうしても「ひとつ、ふたつ、みっつ…」の数え方がマスターできず、私のイライラがつのります。
また間違えたな、初めから。
私の怒りに委縮してしまって、彼の記憶力が低下していく一方だったのでしょう。
言えていたものも間違えるようになります。
そうすると、また私のイライラにも油が注がれるという悪循環が止まりません。
もう一度。
何度言ったら覚えるの。
もう一回初めから。
もういい。
取返しのつかないこと
シャンプーの泡を流す時、そのイライラがお湯をかける勢いに比例して、これでもかこれでもかと、泡を流すお湯を浴びせてしまいました。
母子の密室。
第三者の目がないと、どんどん興奮してエスカレートしていく、それが虐待です。
そして、自己嫌悪に次ぐ自己嫌悪。
天使のようなかわいらしい寝顔に、何度泣いて謝ったでしょうか。
あっという間に大きくなるのに。
取返しのつかないことをしました。
ごめんなさい。