すぐにでもくわえさせてみたい
妊娠中、妊婦向け雑誌を読みふけっては、「母乳育児ってなんだかくすぐったそうで、めんどくさそうだなぁ」と思っていました。
「できればミルク寄りで育てたいなぁ…」、そうすれば母に預ける時も、私が社会復帰したくなった時にも楽だし…と。
ところが、いざ出産して赤ちゃんを抱っこしてみると、「私、ちゃんと母乳出るかなぁ」と、ぼんやり思っている私がいたのです。
すぐにでもくわえさせてみたい、という気持ちさえ湧いてくるのです。
やはり、出産するという出来事は神秘ですよね。
にじみもしない
ところが、そんな私の母性本能に反して、2日たっても3日たっても、にじみもしないのです。
助産師さんは、「こんなのよくある事ですよ。入院中全く出なくても、1ヶ月後には出すぎて困るくらい出る人も多いから」と、本当にケロッとしていました。
それはそうなのでしょうが、私は何となく(…いや、私は本当に出にくいタイプなんじゃないか)という予感しかありませんでした。
結果、退院する前日に、ようやくわずかににじんで出るくらいには出たのですが、もう完全に赤ちゃんはミルクオンリーの状態でした。
そんな中で退院の日が来ます。
「おっぱいも出ない私が、これからどうやって赤ちゃんを育てればいいのか…。お願いだから、せめてあと1ヶ月くらい入院させてよ」そんな不安な気分でいっぱいで、泣き出しそうなのを我慢しながらの退院でした。
完全にミルク
私は里帰りをしなかったので、退院した翌日からは、夫も会社へ行き、赤ちゃんと二人きりの生活が始まりました。
相変わらず、ほぼ完全にミルクです。
出ないなりに、赤ちゃんがお腹を空かせて泣くたびに、自分のおっぱいをくわえさせてみました。
文句を言わず、しばらく吸って眠ってしまうことも多かったのですが、私は絶対足りていない事が分かっていたので、すぐにミルクを作って、寝た子を起こすようにしながら飲ませていました。
たまに私のおっぱいをくわえていて、途中で泣き出す事があるのです。
私は、「あー、やっぱり足りないんだな」と慌ててミルクを作ります。
みじめな苦笑いで、おっぱいも出したままで…。
情けなくて悔しくて
ミルクをおとなしく飲むわが子を見て、何回もポロポロと泣きました。
「この子は私が産んだ子なのに、なんで牛のミルクで育てなきゃいけないんだろう。粉ミルクのない時代だったら、私はこの子を死なせてしまっているんだろう」と。
毎日毎日、情けなくて悔しくて、母乳のみのママたちが妬ましくてたまりません。
1ヶ月、2ヶ月と経つうちにだんだん出るようにはなったのですが、まだうちの子は痩せていてミルクを足さないといけない出具合でした。
私の頭の中は、母乳の事ばかりでいっぱいです。
赤ちゃんの成長や可愛らしさが、なんだかガラスの向こうで起きていることのように感じられるのです。
「母乳ノイローゼ」
「母乳ノイローゼ」だったと思います。
夫も何度も私に言い諭してきました。
「スクスク育てばいいじゃないか」と。
私は孤独でした。
母乳が出ることこそが母親の誇りであり、私はこの子に満足な母乳を出せない限り、母親であるという確証を失ってしまう気がしていたのです。
げんこつでおっぱいを、何度もぶん殴ってしまったこともありました。
母乳さえ潤沢に出れば、私の育児は1000倍幸せなものになるのに…。
これでも限界いっぱいまで頑張っているんだ
そんなある日、お風呂から出て鏡をふと見ると、おっぱいに青い血管が無数に透けているのに気が付きました。
出ないなりに授乳期のおっぱいは、血管がとても充実しているのです。
それを見た時、「あー…。私のおっぱいは、これでも限界いっぱいまで頑張っているんだ…」と思ったのです。
ボロボロと泣けました。
これが精一杯の、私の母性なのだと初めて気付いたのです。
その日を境に、私は随分母乳不足へのこだわりを緩める事ができました。
私を選んで産まれてきてくれた赤ちゃんなのだから、おっぱいが足りないママでもいいと思ってくれてるんだろう、と。
ママの誇り
実際私がよく笑って接するようになってから、赤ちゃんもみるみる表情豊かに笑ってくれるようになったのです。
私は結局3人子供を産み、母乳を一生懸命出る限りあげて、一時的でも母乳だけで育てる事が出来たこともありました。
頑張ってよかったなぁと思っています。
なぜならもう小学校4年生の長男でも、「あなたはママのおっぱいを一生懸命飲んでくれたんだよ」と話をすると、とても嬉しそうな顔をしてくれるからです。
本当に出が悪くて悩んでいるママさんにお伝えしたいです。
たとえ1滴でも赤ちゃんが母乳を飲んだなら、それはママとしての大きな大きな愛情であり、誇りなのだと思ってください。
そして、その子が大きくなった時に、「あなたはママのおっぱいを飲んだよ。ママすごーく嬉しかったよ」と話してあげてください。